0、結論
日本版の市民立法は、議会や国会で法案が議決されて初めて法律が制定される、とは考えない。 日本版の取り組みを始めた瞬間から、実は日本版は制定されていると考える。ただし、それは卵子の細胞分裂から始める生命の誕生のようにジワジワと生成途上のものとして。
なぜなら法とは以下に述べる通り、もともと絶えず生成の過程にある生成法だから。
1、法の本質をめぐる2つの考え方の対立。
一方は国家が制定する成文法。制定法こそ法の中心。
他方は社会自体。様々な社会現象と交換する中で生成される「生ける法」こそ法の中心。
後者は法社会学の創始者の1人オイゲン・エールリッヒが提唱した考え方。
2、法の発展、変化の本質についても、1の対立が反映。
前者の制定法を法の中心と考える立場からは、法が変化するのは制定もしくは改正のとき、制定もしくは改正しない限り、法は変わらないと考える。
後者の「生ける法」を法の中心と考える立場からは、法は生き物のように、24時間いつでも生々流転、変化・生成の途上にあると考える。
3、この対立をどう解いたらよいか。
結局、この対立は法の価値はどこから来るのかという問題に帰着する。
前者は、法の価値を付与できるのは法律を制定する国家だけであると考える。
後者は、法の価値を付与できるのは社会自体。法律を制定する国家だけでは決められない。制定した法律を社会の側がどう受け取るのか、この社会自体の様々な社会現象と交換する中で法の価値が決められていく。
4、この解き方から導かれる結論
前者は、法律を実現するのは唯一の立法機関とされる国会(自治体なら議会)だけ。
立法機関に唯我独尊的な絶対的な地位を認めることになる。
後者は、法律を実現するのは社会自体。つまり社会を構成する様々な人々の声を調整総合して法律が実現することになる。
どちらが現実の事態をより合理的に説明できるだろうか。例えば地雷禁止条約や核兵器禁止条約が市民立法で成立し、主導した市民団体がノーベル平和賞を受賞したという事実は前者からは説明がつかないのではないか。或いは日本で情報公開法が制定されたのはもともと制定に反対だった政府与党の力によるのではなく、政府与党の反対を押し切って成立させた市民の力によるものである。これもまた前者からは説明がつかないのではないか。
5、社会の基本概念をめぐる同様の問い
法の価値はどこから来るのかというという問いは、経済における商品の価値、言語学における言語の意味はどこから来るのかという問いとパラレルの関係にある。
そう考える立場に立つと、
マルクスとソシュールが主張したように、商品も言語も自分だけでその価値や意味を決定することはできず、他者との「交換」の中でしかその価値や意味は決定されないと考える。そのとき、法の価値もまた他の社会的事実と交換する中でしか決定されないことが自然と導かれる。それはまさに法の本質を社会自体に、「交換」に見出す考えである。
6、追伸ーー柄谷行人の311直後のスピーチと日本版への応用
311直後に柄谷行人がデモでこうスピーチした。
「デモをすることによって社会を変えることは、確実にできる。なぜなら、デモをすることによって、日本の社会は、人がデモをする社会に変わるからです」
これは、法の本質を「生成法」「生ける法」と考える立場からはごく自然の帰結。
むしろ、彼は法の本質を「生成法」「生ける法」と考えているから、このような見方がおのずと出来るのだ。この見方によれば、日本版についても次のように言うことができる。
「日本版の取組みを始めたことによってそれだけで社会を変えることは、確実にできる。なぜなら、日本版に着手することによって、日本の社会は、人々が日本版に着手する社会に変わるからで、それが「生ける法」「生成法」としての日本版を形成するのです」
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